ススメ!Freelance

フリーランスとして働くことを決めました。

【自己紹介】これまでの歩み

どーも。
初めまして、しゅんすけと名乗る者でございます。

あんまり自分のことを話すのは得意ではありませんが、
何者なのか知っていただいた方がよいと思い、
自己紹介をさせていただきます。

1991年、平成3年の生まれで
かわいい(と自分は思っている)嫁と
かわいいかわいい(と自分はおm)娘がいます。

現在はフリーランスとして
中小企業の支援やアニメーショングラフィックの制作、
など多彩な方面に手を伸ばしつつどうにかこうにか生活しています。

ゲームばかりしたかった子供時代

子供時代、外で遊ぶというよりは
わりかし家でゲームをするのが好きなタイプでした。
家庭教育の方針でゲームは積極的には買ってもらえず
買ってもらったソフトを繰り返しやり込んでました。
そのせいか今でも完全クリアするまでゲームはやりこむため
新しいソフトに飛びつかずに済み、出費を抑えることができて
非常に助かっています笑

一応中学校はスポーツ系の部活に所属していましたが
高校までは続かずそれっきりやっていません。

今を思えば
将来の夢もみつけていたわけでなく
ただただ毎日を過ごしていただけという感じでした。
それでも人生の中で楽しい時間であったし、
今でも繋がりのある親友とも出会えることができました。

人生の転機となる高校生活

高校選びもかなり適当でした。
自分の学力から考えるであろう学力圏内から
真ん中で通いやすいところを選ぶといった感じで
向上心は全くありませんでした。

そんな選び方をしたせいか
一年生で入った部活も続かず、仲の良い友達もいませんでした。

学力も特別悪かったわけではないので
なんとなく大学に進学するだろうなとは思っていました。

しかし今でも忘れない親からの一言で人生が愕然としました。
「うちはお金が無いから大学の学費は自分で払ってね」
今思えば親の冗談(?)というか願望というか
ぽろっと口にしただけだとは思いますが
それは衝撃的な一言でした。
(結局大学の学費はローンで払って貰った)

それをきっかけに部活を辞めて
アルバイトを始めました。

そこからは自分で働いてお金を稼ぐという
難しさ、楽しさ、素晴しさ。
アルバイトながらも社会に出て働くという
責任など学ぶことができました。

そこでかけがえのない出会いもあったし、
人間的にも非常に成長できた環境だったと思います。

バイトの先輩に今思えば変なやつがいたんですね。
座右の銘に"全力"を掲げて
バイトも趣味も一番になるために全てを注ぐ。
そのためなら(良い意味で)手段は選ばないやつでした。

本人の話によれば遊戯王カードで強くなるために
高校生なのに小学生に頭を下げてルールや環境を
教えて貰っていたとのこと笑
おそらくウソではないし、そういうことを平気でやる人間でした。

自然と注目は集まり、多くの先輩後輩がその人を慕っていました。
大学生でスポーツカーを買っていたのですごい根性です。

そういう素晴しいと思える人に出会うと
なんとなく自分も負けたくないと思う感情が芽生えました。
でもその当時はまだまだ将来の夢なんてなくて
好きなゲームしながら生きていればそれでいいかなって思ってました。

大学進学を見据えたとき
「夢がないなら経営学部に進むのがいいだろう」と
ある先輩の一言で、なんとなく経営学部に進学することに決めました。

あとちょうど高校時代にニコニコ動画がはやった。
そこでゲーム実況というジャンルを見つけて、
ゲーム好きな自分としては本当に楽しいものだった。
自分でも挑戦したいという思いもあったけど
実家だったし、部屋で一人でマイクに向ってしゃべるってことに
恥ずかしさもあった。
あとは所有していたパソコンがとてもじゃないけど
ゲームをキャプチャして録画しながら声吹き込んだりできるスペックじゃなかった。
だから断念せざるを得なかった。

良い刺激を受けた大学生活

大学選びも簡単なものでした。
あまり無理に勉強するわけでもなく
入れそうな大学で経営学部があるところを選びました。
ちょうどその選択肢の中に
中学からの親友が行く大学(彼は高校からエスカレーター式)があったため
その大学を第一志望にして、普通に入学しました。
学部はもちろん経営学部。

親友とは学部が違ったため結構ふらふらしました。
あんまり友達をつくるのが得意ではありませんでした。
親友の誘いでサークル見学などもしましたが、
結果としてサークルには入りませんでした。
真面目に勉強もしたかったし、あんまり遊ぶ金銭的余裕もなかったし。

友達が出来たきっかけは語学の授業。
語学は学部の学籍番号で区切っていたため同じ学部の人間ばかりでした。
そこでサークル見学でみかけた人間を見つけ、
それをきっかけに話しかけてどうにか友達になることができました。
そいつがまた、超変態天才で良い意味でも悪い意味でも
そいつからの影響を受けました。
今でも友好関係のある数少ない友達です。

そいつは商業系の高校を通っていたからか
会計に関する知識はすごかった。
在学中に簿記1級やら税理士やら会計士を目指すような人だった。
勝てない。自分が思った数少ない人の内の一人。

会計では負けてしまうけど
何か他の分野で勝ちたいと思ったのがきっかけで
ある経営学系の国家資格を受けることを決めて勉強を始めた。

結果としては卒業と同じタイミングで受かることができて
今でも他人に言うと「おぉ」と言われる程度に活躍している笑

受かったことよりもその課程で学んだことの方が
よっぽど大きかった。
経済縮小、人口減少
日本国内の直面している問題の片鱗がなんとなく理解できるようになった。
それと経営学を勉強したので、いつかは自分も会社経営をしたいという思いは強くなった。

適当な就職活動

就職活動は本当に適当だった。

資格の勉強と重なったということもあったけど
どうせすぐにやめるから。って思っていた点が大きかった。

業務を通じて何かを学びながら生きていければいいということで
最初に受かったシステム開発会社に就職することにした。

家から3時間くらいかかるような遠い企業だったので
一人暮らしをすることにした。
というより一人暮らしを正当化したくて
遠い企業を選んだ。

今を思えば実家に住みながら貯金した方が賢明だったと思ってる。

社会人一社目

そんなこんなでプログラミングの「プ」の字もわからないのに
システムエンジニアになった。
幸いにも入社した会社が新卒で文系も採るような会社だったから
特に技術面で苦労した記憶はない。

とはいっても運用保守とか仕様変更の対応とか
高度な技術はあんまり要求されていなかったんだと思う。

小さい会社だったけど上場企業で使われる業務システムを
クラッチで作っているような会社だった。
数人で運用するようなシステムだけど。

自分はちょうどその部署に配属された。
めっちゃドドドドキツい(笑)女上司と割と仲良く、卒なく仕事をこなした。
自分が2年目になったときに上司がやめて、担当者自分一人の状態になった。
その翌年に自分も辞めたけど。

会社としては今思えば本当にホワイト企業だった。
残業代は全部支給されていたし、有給もとりやすかった。
花見やら社員旅行やら会社イベントが多くてうざかった。
社長が「うちはホワイト企業だ」とか言い張っててうざかった。
入社二年目でプロジェクト主担当者になり、エンドユーザと直接やり取りして
書類作成、コーディング、テスト、本番導入全部一人でやってたのに
基本給2000円しか上がらなかったので辞めた。
隣で新入社員研修受けてる人と2000円しか変わらないんだって思ったから。
それからか仕事に関しては時間単価というものを強く意識するようになった。

社会人二社目

てなわけで転職。
会社経営への思いが強くなったからか
二社目はコンサル会社に行った。

コンサルなんて名ばかりで資金調達支援ばっかやる会社だった。
主に補助金の獲得。
補助金は申請書が命だからそれを専門にやる会社だった。

学んだことは多かった。
多くの中小企業をみることができたし、
決算書もみることができた。
なんというかビジネスの勘所なんかも身についたと思う。

でも割とブラック企業だった。

入った当初、従業員は5~6名だったけど
ほとんどのメンバーが同期。
聞くところによれば入社前にいた人たちは大量辞職したとのこと。

締切りが近くなると家に帰れない日々が続く。
残業代なんか1円もでない。
会社の言い分では固定残業代を支払ってるから
問題ないと言う。
労働基準法を学んでこい。

あと社長が詐欺じみてる。
補助金が受からない会社でも「受かるかも」とちらつかせて
契約金を巻き上げてた。

契約させたあとは従業員に丸投げで
自分らは受からない会社を必死になって
受からせようと申請書を作る。
結果、そういう会社は何年経っても、何回申請しても
受からない。

帰れないし、給料上がらないし、成長できなくなったから辞めた。
自分に子供がうまれたのをきっかけに生活を見直すことにした。
子供の顔を沢山みたいからね。

その後、続々同期がやめたらしく、
自分の知っている人は全員やめたと思う。
時代は繰り返す笑
従業員の新陳代謝が良いんですね笑

そして現在、未来へ

そんなこんなで今は契約社員フリーランスという
兼業生活を送ることになった。
契約社員だけでは家族を養っていけないので
副業という形で仕事を受けている。

副業での収入がある程度見込めるようになったので
フリーランスとして一本化して進めていこうと思っています。